和尚さんのさわやか説法318
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
新年 明けまして おめでとうございます。
正月号に続きましての「あけおめ」第2弾でありまする!!
本年、丑年の我が寺常現寺の新春元旦祈祷法要は無観客、つまり参詣者は誰1人いることなく、私と副住職の2人だけで挙行した。
現今下でのコロナ禍を考慮して、檀家さんへの「正月の御案内」においては、3密回避の為、その旨をお知らせしていた。
例年だと、大晦日の夜11時半を過ぎると檀家さんや地域の方々が参集し、新年の午前零時には、約200人ぐらいの参詣者で本堂いっぱいに溢れるが、今年は冷え冷えとした祈祷法要となった。
-だからこそ-
私は、祈祷太鼓を打つバチは、渾身の力を込め、唱える『般若心経』は怒濤の如く熱気満々、全身全霊を傾けて祈願した。
それは、とりもなおさず、コロナ退散!!
疫病退散!! 悪病降伏せんが為である。
そして、早期収束!!日常平穏、民心安寧!!たらんと願いを込めてのことからだった。
御祈祷は太鼓・御経・声そして心が一体となっての自己没我が具現化しての祈りの法要だ。
私の寺の「正月祈祷」は、その元旦零時と午前11時、そして2日の同じく午前11時と3回修行する。
この3回全てが、今年は無観客だった。
そのこともあり、2日の正月祈祷の太鼓打ちを弟子である副住職に任せることにした。
無観客ではあるが、本番は本番である。
その場にいるのは、師匠である私だけしかおらず、だからこそ余計に緊張しているのか、その心の内が伝わってくる。
弟子は、やはり渾身の力を込めて打ち、御経を唱える。私自身もその太鼓に合わせ般若心経を唱える。
-ところが-
力を込めて打てば打つ程、唱えれば唱える程、俄かに波長、鼓動、気力が乱れてきた。
その正月祈祷を終え茶の間に戻ると、弟子が私の前で、ひれ伏してこう述べた。
「正月祈祷をこわしてしまいましたぁ~!!」
「一生懸命力を入れれば入れる程、乱れてしまいましたぁ~」
「懺謝(さんじゃ)申し上げます」
悲痛な叫びであった。
それを受けて私自身も正座し、弟子と相見して、こう答えた。
「最初は誰でもそうだ。初めから上手に打てないものだ」
「こわしたとか、こわしてしまったが問題ではない!!」
「次から、どう打つか、どう修行するかが問題なのだ」
「誰でも第1歩を踏み出せる。大事なのは、どう第2歩目を踏み出すかだ」
「失敗は、失敗をそのままにしておくことが、本当の失敗である」
「失敗という第1歩を踏み出したなら、次の第2歩を如何に踏むかだ。克服し成し遂げようと更に踏み出すならば、その失敗は失敗でなくなる」
私は、弟子にこう言いながら、彼が「自分が任された正月祈祷をこわしてしまった」という自覚を持ったことが、とても嬉しく感じていた。
それは、仏道修行において最も肝要なのは「自覚」ということだからだ。
つまり、仏道修行は、何事においても全ては、自覚たる自己の第1歩の足跡を尋ねることであり、先人の自覚の第1歩からの足跡を尋ねることでもある。
-そこで-
本年正月号の「さわやか説法」の後半で述べた「十牛図」のことを、最初の第1回「尋牛」編から愚考愚説してみたい。
「十牛図」とは、絵図によって「禅の境地」の道程を仏道修行者が視覚的に会得できるよう導く禅の教えである。
そこには、牛と牧童をモチーフにした10枚の絵図によって「悟り」という「自覚」たる求道の姿を描き表わしている。
-そして-
「悟り」の当体として例えられているのが「牛」なのだ。
そして、その「悟り」を求める修行者が、ここで描かれている「牧童」である。
その牧童が牛を探し求め、牛の足跡を見つけようとの第1歩の修行が第1図の「尋牛」であり、第2図が、その足跡を見つけ出す「見跡」であった。
そこで、第1図から第10図までの表題を列記してみよう。
1、尋牛(じんぎゅう)
2、見跡(けんせき)
3、見牛(けんぎゅう)
4、得牛(とくぎゅう)
5、牧牛(ぼくぎゅう)
6、気牛帰家(きぎゅうきか)
7、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
8、人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう)
9、返本還源(へんぽんかんげん)
10、入鄽垂手(にってんすいしゅ)
以上の10項目の絵図であり、中国宋時代の禅僧、臨済宗 廓庵師遠(かくあんしおん)禅師(12世紀・生没年不詳)によって描かれ、法嗣(弟子)の慈遠(じおん)禅師が序文を加筆したものが現在に伝わっている。
「十牛図」は絵図によって、仏道修行の道程を分かりやすく説いたものではあるが、その意味するものは、まことに深遠であり、凡愚和尚の私にとっては牛の尻尾(しっぽ)を撫でてるようなものだ。
トッホッホッ💧💧💧
-しかし-
それでも、愚考しながらも愚説を「さわやか説法」することとする。
まず、第1図「尋牛」である。
牛を尋ねるとは、悟りを求めんが為には自己自身が、仏道なる「道」に第1歩を踏み出す「求道の第1歩」から始まるのである。
踏み出したならば、牛を探し求め得られるまで探し歩き続けなければならない。
その道は険しく、厳しい、どこを探せばいいのか。どう探せばいいのか。
でも、諦めてはならない。探し求め歩むしかない。
廓庵禅師は、第1図の「頌」でかく述べている。
「茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋(ついじん)す。
水闊(ひろ)く 山遥(はる)かにして路(みち) 更(さら)に深(ふか)し
行く手を阻むかのよう生い茂る草を払いのけて、ひたすら牛を探し求める。
広く大きな川を渡たり、険しい山を登る時もあり、仏道を求める道は、果てしなく遠くて深い。
-しかしながら-
私はこの尋ねる第1歩からの「歩みの連続」が肝要であると思っている。
それは、歩み続けていかなければ、牛を探し出すことはできない。
ただ待っていても、牛からは、こちらにやってこないからだ。
求めなければ道は開けないし、探せないのである。
今月号の冒頭で弟子が「正月祈祷をこわしましたぁー」と自らが自覚したことを述べたが、彼にとっては、これが自らの太鼓修行の第1歩でもあるのだ。
実は、これからが肝要であって、どう踏み出し、どのように成すべきかが問われるのだ。
どうか険しき山を登り、茫々たる草を撥いのけて探し求めてもらいたいものと私は見守っている。
そして、そのことは私とて同様である。私自身も問われていることなのだ。
常に「尋牛の旅」であることにほかならない。
続きの第2図以降は、次号から、はたまたこの凡愚和尚が愚考愚説してまいります。
合掌