和尚さんのさわやか説法310
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

「仏の世界も感染予防!!」
 このタイトルのもとに、私のお寺における境内のお地蔵さま、そして本堂内に鎮座している三十三観音様、延命地蔵尊等々、全ての御仏様方に「マスク」を着用していただいた。
 総計65体である。
-そこには-
 こういうコメントを書き添え、願いを込めた。
「御参拝の皆様 新型コロナウイルス感染予防の為 マスクを着用して自らを守り 拡大化防止に努めましょう お地蔵様もマスクを着けて皆さんを見守っています」
 このお地蔵様のマスクは近所の檀家さんによる手作りであり、白い布地に赤い糸の刺繍が施(ほどこ)されている。

-先日のことだ-
 お寺にお参りに来たお婆ちゃん、お母さんそして子ども3人の家族だった。
 子ども達が、いち早く境内のお地蔵様に気がつくと、
「あれ!!お地蔵さまがマスクを着けてる!!」
「かわいねェー」
お婆ちゃん、お母さんもほっこり笑い。
「ほんとうだぁー」
「マスク着けてるー」
 そして、「ハッ」とするや、ポケットに手を入れて、マスクを取り出し始めた。
「ほら、あんた達もお地蔵さまのようにマスクを着けなさい」
 その家族は、境内に入る前にはマスクを着けてなかったが、「マスク地蔵」の姿を見て気づいたのだ。
 それから皆なは、お地蔵様に手を合わせた。

 偶然にも私は、その場に居合せ、お地蔵さまがニッコリ微笑み見守って下さっていることを実感した。
 この「マスク地蔵」の契機となったのは親友〇〇師の訃報に接し、彼の切なる思いを何らかの形で人々に伝え示したかったからだ。

 地蔵菩薩とは「大地が全ての生命(いのち)を育む力を蔵(ぞう)するように 苦悩する人々の生命(いのち)を 無限の慈悲の心で包み込み、育み救うところから、そのように名付けられた」とされる。

『地蔵菩薩本願経』によると、古代インドに慈悲深い2人の王がいたという。
 1人は自らが悟り仏となってから、人々を救おうと考え、「一切成就如来」という仏になった。
 一方、もう1人の王は、先に苦しみ悩む人々を「悟り」の境地に渡してから、その後に自らを悟ろうと考えたとのことである。
 それが「地蔵菩薩」であるといわれる。
-つまり-
 お地蔵さまは、「一切の苦悩する衆生を救済し、その請願を果すことがないならば、我は悟ることなく永遠なる願行に生きる」とするまことの御仏なのだ。
 このことからも、古来より民衆には深く信仰される菩薩様であり、現代においても、お寺や街道辻にも祀(まつ)られ人々に親しまれており、『日本昔ばなし』(講談社)には、「笠地蔵」「猿地蔵」「お花地蔵」が紹介されている。

-1本の電話が鳴った-
 着信番号を見ると、見覚えのある番号だ。
「東京の〇〇寺だ」
私は、素速く受話器を取り耳に当てると、
「東京の〇〇です」
「父がコロナに感染した時には、励ましの言葉や、亡くなった時には、お悔み、慰めの言葉を、留守を預かる妹に頂戴し、ありがとうございました……」
「えっ!!副住職さんは退院されたんですか?」
「はい、私は家庭内感染で隔離されましたが軽症でしたので、帰ることが出来ました……」
「それで…、お母さんは?……」
「はい、母は、まだ入院隔離中ですが、快方に向かっており大丈夫です……」
-そう-
 この電話は、先月号の「さわやか説法」で綴った新型コロナウイルスにより亡くなられた親友の〇〇師の息子さんであり、寺の副住職さんからであった。
「父は、私が子どもの頃から、よく高山さんのことを話していました……」
「高山さんと出会った駒大児童教育部の頃のことを……」
「父は、コロナに感染し、コロナの怖さを、予防の大切さを身をもって私達に教えてくれました……」

-その時だった-
 突然にあの若き時代の光景が脳裡に蘇った。
 それは、〇〇師と共に児童教育部の夏季巡回で演じた「人形劇」だった。
 題名は「火に飛び込んだウサギ」だ。
「副住職さん!!あなたのお父さんは、もしかしたら、自らを火に身を投じたウサギかもしれませんよ!!」
「えっ?」
「お釈迦様の前世を描いた『ジャータカ物語』にある説話で、〇〇君と一緒に、その当時の部員が演じた人形劇のことです」
「それなら、私も父から聞いて知っています……」

-この説話とは-
乁むか~し、昔。インドの山奥に猿と狐と兎の3匹が仲良く遊んでいた。
 そこに力尽きて倒れている弱々しい老人と出逢うのだった。
「あれ?ここにお爺さんが倒れているよ」
「どうしたのかな?」
3匹は、心配そうにその老人をのぞき込んだ。
「きっと、お腹がすいているだ!!」
3匹は、それぞれ山の中に入り食べ物を探した。
 それを〇〇師も私も子ども達の前で舞台を組み、その人形劇を演じた。
 導入では、猿、狐、兎が舞台狭しと、組んず解れつの追いかけっこに観衆の子ども達は声を上げ、手を打って喜んだ。
 猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、お爺さんのもとに帰ってきた。
 しかし、兎だけはどこを捜しても何も採ってくることなく、ションボリ戻ってきたのだ
「あれ?ウサギさんは何も採ってこなかったの?」
 猿と狐はウサギさんを
「どうして何も見つけられなかったの?」
「どうして?どうして?」
と責め立てる。
 そしたら兎は老人に火をおこすように頼んだ。
-こともあろうか-
 ウサギさんは、うなだれ意を決したかのように叫んだ。
 焚いてあった燃えさかる火の中に自らの身を投げるや
「お爺さん!!私を食べてください!!」
猿も狐も驚いた。

-その時だった-
 老人は「火に飛び込んだウサギ」を手に抱きかかえると、
「おっおっー」っと顔をくゆらせ天の月へと昇っていくのだった。
 その状景を目の当たりにした猿と狐も同時に叫んだ。
「ウサギさ~ん」
「おじいさ~ん」
-なんと-
あの老人はお釈迦さまだったのだ。
 そしてウサギさんは自らを「捨身(しゃしん)」して弱き人々を救わんとの慈悲を実践する「菩薩」だったのである。
 それからというもの満月の夜に見える「月」には「ウサギさん」の姿が写し出され、周囲に見える煙状の影が見えるのは兎が自らの身を焼いた時の「煙」だという。

-この仏教説話を-
 私は副住職さんに話をした。
 電話の向こうに嗚咽が聞こえる。
「きっと あなたのお父さんは、あのウサギさんであり、菩薩様なんだよ……」💧💧💧
「…………。」💧💧💧
「〇〇君は 自らを犠牲にして コロナで苦悩する世の人々に、コロナ救済の為に身を投じたんだよ……」

 まさに、私の親友である〇〇師は観音さま、お地蔵さまの如くに真の「菩薩」としての使命を果し、そしてあの説話のウサギさんのようにお釈迦様の手に抱かれて天に昇ったのだ。
 私はそう、確信している。

 しかしながら、私はやはり、コロナが心より憎い!!心底、憎っつらい。……………(`∧´)

合掌