和尚さんのさわやか説法315
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 先月号の「さわやか説法」において私は、「コロナ発生以後の葬儀の変容を考える」と題して、八戸地方の葬儀の形態が「弔問式葬儀」へと変化したことについて解説してみた。
 それは、新型コロナウイルス感染予防の為には、お互いのマスク着用や手指の消毒は勿論のこと、「密集、密接、密閉」の3密を回避することが、最も重要な対応策であることから、寺院や葬祭会館における「葬儀の場」においても影響が及んでいることを鑑みてのことだ。
 確かに、コロナ以前の従来の葬儀の形態は、会葬参列者の方々が多く集まれば集まるほど、まさに3密の状況下にあった。
 それを回避する為にはと発案された一つの方策が、「コロナから葬儀を守る」「安心なる葬儀の確立」との結実が「弔問式」という葬儀形式だった。
「一体、誰が考えたのだろう?」
私は当初、違和感を覚えていたが、それが今ではすっかり慣れてしまい、ごく自然に当たり前の感覚になっている。

 先月号の「さわやか説法」を読んだ方々や檀家の皆さんから、この弔問式葬儀についての感想や意見が寄せられた。
「和尚さん!!弔問式葬儀ってのは、いいもんですなぁ~」とか。
「時間に制約されないし、自分の時間に合わせて焼香できるし」…。
「今までは、時間前に到着し、喪主の挨拶が終わるまで、ずうっと座わってなけりゃならないし」…。とか。
 ある檀家さんなんかは、こうまで言った。
「いやあー。和尚さんの長ったらしい御経や説教も聞かなくていいし…」
「実に 弔問式はいいやり方だ」と、ニヤッと笑うのである。
 これには、私は「ウッ」と詰まり声も失い、絶句してしまった。

 その檀家さんは親しくしている方でもあり、ワザと揶揄って言ったことは分かってはいたが、
「何でェー、俺は、和尚として丁寧に御経を上げ、説法もしてるのに……」と心の中で叫んでいた。
―しかし―
 案外、皆さんの本音なのかもしれないとも思った。
 だからこそ、この弔問式葬儀という「新しい生活様式」ならぬ「新しい葬儀様式」は、コロナが終息し、世の中が元に戻り、以前のような状況になったとしても、この葬儀形態は戻ることなく、このまま定着化していくだろうと私は思っている。

-それは-
 まさしくコロナ禍によっての、私達日本人の社会的意識が変容したことにほかならない。
 おそらく、3密を回避するような生活様式は、ずうっと持続していくのではないかと思うからである。
 故に、この「弔問式葬儀」なる形態は、コロナ禍を契機としての令和という時代に即応した新しき葬儀のあり方とも言えるのではないか。
 また、密を回避し、人と人との距離を置こうとする「ソーシャル・ディスタンス」との社会的意識は、更に葬儀の簡素化、簡略化に向かって行くのではないかとも私は推測している。

-実は-
 そのように思った一つのきっかけが、この10月に東京近郊の檀家さんからの葬儀依頼があった時にある。
 コロナによっての移動自粛のこともあり、遺族全員が八戸へ行くのは憚(はばか)れるので、私に東京まで来て葬儀をしてもらいたいとの要請であった。
 私は県外の檀家さん方には、いつもこう話していた。
「遠くであろうが、近かろうが、檀家さんが亡くなった時は、菩提寺の和尚として、その場に行き、きちんと葬儀をし弔うのが、私の責務です」
「時間の調整をして下されば必ず行きます」
と、言い切ってることもあり、コロナ禍最前線の東京に行くことに、一瞬、躊躇したが、
「はい!!分かりました」と答えざるを得なかった。
 電話を現地の葬儀社職員と代わり、葬儀日程やら、どこの斎場で行うのか、おおよそのことを打ち合せをした。
 次の日の朝、現地の火葬時間の予定で10時からの葬儀ということとなり、当日の9時までに来てもらいたいとの担当職員からの連絡があった。
 東京あたりでの葬儀形式は、葬儀をしてから火葬をし、その後に初七日法要である。
 ということで私は、その担当職員に、
「では、前日の夕方までに到着しての御通夜をし、そちらのどこかのホテルに宿泊の上、翌日、葬儀を執り行いましょう」と話をした。

 すると、驚いたかのように、「えっ?御通夜をするんですか?」との回答だった。
「当り前でしょ!!葬儀と御通夜は一体のものであり、どうせ前泊するんですから、やりますよ…」
「いや、御当家様の葬儀は『一日葬(いちにちそう)』と受け賜っており、御通夜なしで、その準備はしておりません」
「ですので、当日だけで結構です」と拒絶された。
 私は困惑しながら、
「はあ~。なんですか?その一日葬と言うのは?」と訊ねていた。
私には、初めて聞く葬式のやり方だったからだ。

 日本経済新聞の記事に、この「一日葬」のことが掲載されていた。「増える家族葬、通夜なし『一日葬』も」と紹介し、そこにはこう記されていた。
 「新型コロナウイルスの感染拡大を受け葬儀の形式に変化が起きている。
「密」になるのを避けるため親類縁者、知人が一堂に介する形式を敬遠。少人数の肉親だけで見送る簡素な式を選択するケースが増えてきた。
 一日葬は3月以前から増え続けている。同じ場所の長時間滞在を防ぐことができ、遠方の親族も日帰りが可能となるため感染リスクを下げられる点が、選好されているとの見方だ。」
 このような内容であった。
 そしてまた『鎌倉新書』による「コロナ禍におけるお葬式の実態調査」によると、本年8月以降の現在における葬儀形式は、一日葬が51.7%、家族葬が43.3%、一般葬という従来型は3.3%、だという。
 そしてまた、コロナによる葬儀規模の変化についてどのように思うか?の設問には、今後回復すると思うが、14.2%、今後縮小すると思うが80.8%、とのことである。

 このようなことからもコロナ禍における「葬儀の変容」は、実は都会ばかりのことばかりではなく、地方にも波及し始めているし、私達の八戸地方においても、弔問式葬儀が定着化しての「家族葬」が主体となり、更には、通夜なしの「一日葬」という簡素化や縮小化がやがて浸透していくことにもなりかねないのではないか。
-そしてまた-
 ソーシャル・ディスタンスという社会的意識の影響は、人と人との距離を置くということからも、個人化思考に拍車がかかり、葬儀の形態もまた、「家族葬」から「個人葬」ともなり、「個人化一日葬」ともなるかもしれないと危惧してしまう。

-しかしながら-
 これからの葬儀の形態は時代と共に変容し、かつまた簡素化縮小化していくかも知れないが、亡き人を偲び思慕し、哀しみ追悼する。その本質は変わらない「不変の心」であり「不変の営み」であることは確かなことである。
 葬儀の形態は、その時代時代の社会ニーズに合わせて変容してきている。
 例えば、昭和の時代は「自宅葬」や「寺院葬」が主体であったが、平成に入ってからは「会館葬」が主体となり、その会館葬もまた、「一般葬」から「家族葬」へとニーズが高まり、そして令和時代の現在のコロナ禍にあっては「弔問葬」なる形態へと変遷してきている。
 このことは社会的意識ニーズを受容してのことではあるが、私ども寺院に、宗教者にとっては、葬儀の本質性を見失うことなくそれぞれの教義に基づき確固たる教化布衍(ふえん)に努めていかねばならない。
 また、葬儀社や一般市民にとっても、亡き人を送る葬儀のあり方を、時代の変化、社会ニーズの変容を、どう捉え、どのように即応していくかを問われるのではないか。

合掌

 

※参照・引用
日本経済新聞10月6日号
鎌倉新書「コロナ禍におけるお葬式の実態調査」