和尚さんのさわやか説法329
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 「グキッ!!」
 左脚の膝関節部分に、その音が鳴ったかのように耳に響いた。
 13時59分、お寺の裏にある事務所の階段を慌てて上がろうとした瞬間だった。
 14時からの全国教誨師連盟による「オンライン会議」に出席する為に、PCリモートの机に向うべく息急き切っていた。
-その時-
 PC画面には、出席者の顔ぶれが分割表示され、司会者の声が開会の挨拶をしていた。
 間一髪!!机の前に座わるや、今度は、今日の会議の出席者それぞれの自己紹介だ。
 私は左脚に違和感を覚えながらも、にこやかに微笑み、
 「青森刑務所 所属の教誨師 高山元延です。どうぞ、よろしく・・・・・・」
 会議が進行していく中で、リモート画面が移るPCカメラの机の下で、私は左脚をしきりに手で揉み、もがいていた。
-実は-
 この「グキッ」と鳴る1週間前から、その兆候はあった。
 歩くと少し痛みを感じ、畳や座布団に座ろうとすると、いつもの様に座れなくなっていた。
 ましてや、正座しようとすると、ことさらに痛い。
 「なんで、座れなくなったんだろう・・・・・・?」
 「まあ~。一種の職業病だよな!!」

-でも、念の為-
 整形外科に行って診察を受けることにした。
 レントゲン写真の左膝の関節部分を指さして、お医者さんはこう言った。
 「関節部分の軟骨が少し減ってますね」
 「でも、そんなに気にするほどでもありませんから・・・・・・」
 私は、「先生!!ヒアルロン酸でも、何でもいいですから、注射して軟骨を増やしてくれませんか?」と勝手なお願いをした。
-すると-
 「まあ、それ程までではないですから、お薬で様子を見ましょう」
 「そうですかぁ~」
 私は頷きながら、でも、こう切り出した。
 「これって、老化現象ですかぁ~?」
 お医者さんは笑いながら、
 「そうでしょうな!!」
 「やっぱり!!」
 私は妙に納得して、それから処方の薬を飲み続けたが、一向にその小さな痛みは消えなかった。

-そこに-
 冒頭で述べた如くのオンライン会議「グキッと激痛」事件が起きたのだ。
 1時間半の会議が終わって、PC画面を閉じて、椅子から立ち上がろうとした瞬間だった。
「ピキッーン」と膝裏に、今まで経験したことのなかった激痛が走った。
「アレッ?」
 立ち上がれないのだ。
左脚を床に着く、右脚を出そうとしても痛みで踏ん張れない。
「アタッタッタッ」と声にならない声が出た。
 今度は右脚で踏ん張り、左脚を出そうとしたが、その左脚も前に出ない。
 「イタッタッタッタ」
また叫んで、椅子にへたり込んだ。

 奥様を呼ぼうにも、その日に限って奥様は外出中だ。
 タクシーを頼み、また整形外科に急遽、向かった。
 病院に着くと、運転手さんが車椅子を調達してくれ、初めて車椅子というものに乗ってみた。

「先生!!様子を見てたら、こんなになりましたぁ~」
 自分で慌てて転んだくせに、それを棚に上げて・・・。
(とんでもない和尚だ。)
 お医者さんは、左脚のアチコチを押して
「どこが痛いですか?」
と聞くが、どこも痛みを感じない。
「先生は、魔法の手です!!」
「先生に触られると途端に痛みが消えてしまいます~」
「不思議だなぁ~」
-すると-
 何かを感じたのか
「じゃあ、和尚さんの御希望通り、注射して上げますね」
「はっはい!!」
「よろしく お願いします」
「ともかく、もう脚は動かさない」
「歩かない。安静にして下さい!!」
「分かりましたね。」

-その時だった-
 天からというか、私の心の中に、み仏のお叱りの声が聞こえた。
「お前はぁー」
「アチコチと動くではない!!」
「静かにしていよ!!」
「和尚たるもの、常に身と心を安住にしておれ!!」と・・・・・・。

 お釈迦様の説かれた教えを短い詩節で伝える『法句経(ほっくきょう)』という原始仏典に、こういう一節がある。

この装(よそお)われたる
 形体(すがた)を見よ
そは 組(く)み合(あ)わされしもの
多(おお)くの瘡疵(きず)におおわれたり
 病(や)むこと
思(おも)いわずらうこと多(おお)く
 ここにはいかなる
堅固(かたき)も安住(やすけき)もなし

(法句経147)

 まさに、私を一喝するお釈迦様のみ教えだ。
 私は、寅年生まれで今年72才となった。
 私の装いたるこの体形(すがた)は、「老虎」にて、今まさに形体(からだ)ヨタヨタ、脚はイタタタ!! 足腰ガクガク!! 歯はガタガタ!! 御経はフガフガだ。💧💧💧。
 トッホッホッホ・・・。
 私の組み合わされた関節は悲鳴を上げ、形体(からだ)のアチコチは多くの傷におおわれている。
 病んでは、思い患うこと多く、堅固なる身体も、心の安住もないのだ。

 私は、今回の左脚の膝痛を通して、老いたる自分の身体と老いたる人々の苦しさ痛さ不自由さを、それこそ痛切(つうせつ)に学ばさせられた。

-そして-
 更に追い討ちを掛ける事件が起きたのだ。
 それは、安静中のことだった。台所で果物の蜜柑を食べてる時だった。甘酸っぱさを味わっていると、口元に何かが落ちた。
「ミカンの種かな?」
と思って吐き出すと、
-なんと-
 それは、私の前歯だったのだ。
「アチャアー!!」
「歯が折れたぁー」
 とうもろこしとか固い煎餅をかじってるのなら、納得もするが、ミカンをすすってる時だから驚いたのなんのって。
 ミカンで歯が折れたのだ。「未完成」の歯なら分かるもするが、完成された歯である。
 しかし、その折れた歯を見て妙に得心した。
 それは、歯の真中あたりが茶色に変色し空洞となっていた。まさに枯木だったのだ。
「よく、72年間、耐えて来ましたなぁ~」
「お疲れさまでしたぁ~」💧💧💧
 私は手を合わせて、その折れた歯に合掌し呟いた。
 でも、その前歯が折れたことによって、あの膝の痛さはどこかに吹っ飛んでしまっていた。ビックリして、忘れてしまったのだ。
 それから普通に歩けるようになった。
「災い転(てん)じて福(ふく)となす」の格言ならぬ、「前歯転(ころ)がり脚は復(ふく)となす」なのだ💧💧💧。

 先述した『法句経』(151)には、こうも説かれている。

うちかざれし
王車(おうしゃ)も古(ふる)び
この身(み)もまた
老(おい)に至(いた)らん
されど心ある人の法(おしえ)は老ゆることなし
心ある人は 
 またたがいに
心ある人に
 つたうればなり

 王様の立派な牛車も、やがては古びていく。
 人の身もまた、同じく老いていくのだ。
 しかし、お釈迦様の教えは古びることはない。お釈迦様の教えはまことに「心ある人」に教え伝えるものである。
「心なき人」の私のような和尚にも、教え伝えんとするのだ。

 お釈迦様は、今から2500年前の2月15日、80才で亡くなられた。
 自分の老いていることを自覚されながらも私達に「老いの教え」を説かれている。
 凡愚和尚の私は、人々に教えを説くどころか、「イタタタタッ」と叫んでいるばかりだ。
 トッホッホッホ💧💧💧。
 

合掌