和尚さんのさわやか説法334
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
「えっ?」
「まさか?」
私は、机の上に示された「2本の線」を直視していた。
実は前日、教誨師の会議があり、東京へ出張していた。夜12時過ぎから、発熱を自覚し始めると、汗が下着や布団を濡らしていた。
午前4時、あまりの汗に飛び起き、シャワーを浴びる。
浴室から出て、体温計を探して測ってみると37.7度だった。
「風邪ひいたかな?」
「昨日、東京は猛暑日だったよな!! 汗だくとなって新幹線に乗り込んだら、今度は冷房がきき過ぎで、逆に寒気を覚えたもんなぁー」
東京は感染者増大化の渦中にあった6月28日のことだった。
「うん?」
「でも、待てよ?」
「まさか?」
「コロナ?」
本堂の扉を開け、御本尊様はじめ、仏様方を拝んでから、部屋に戻り、もしもの時の為に用意していた「抗原検査キット」を出しては、説明書を読みながら、綿棒を鼻の奥に差し込んだ。
手順通りに、その液体を検査器具に数滴落し見守っていると、「2本の線」が露現した。
慌てて説明書を確認すると「2本線」は「陽性」とあった。
「げぇっ!!」
「間違いでは?」
私は、もう1回確かめるべく、2つ目の検査キットの封を破っていた。
また綿棒を鼻奥に突っ込み、1回目以上にグリグリと掻き回わし、もう1度、検査器具にその液体を垂らした。
じっと凝視する!!
1本目の線が現われた、すると更に2本目の線も出た。
「やっぱり!!」
最初の「まさか」から「やっぱり!!」へと、ため息が変化していた。
-それからが-
騒動記の始りだった。
「おかぁちゃんおかぁちゃん」
「てってっ。大変(てえへん)だぁー」
「オレ、俺!! コロナに感染しだぁ~」
起きてきた奥様に向かって叫んでいた。
普段は、奥様を「おかぁ~ちゃん」なんて呼んだこともないくせに、その時に限って、「おかぁ~ちゃん」と呼んでいた。
よっぽど、慌ててるか、母親にすがりたくなるような、子ども的な心境になっていたのかもしれない。
奥様は、寝呆け眼をパチクリ見開いて
「はぁ~?」と一言だけ発した。
-その時-
私はマスクは着けておらず、挙句の果てに
「俺、コロナコロナ」と叫んでは、口角泡を飛ばしていた。
-なんとまぁ~-
-アホな和尚の旦那でありまするぅ~-
奥様は、キッと私を睨みつけると、
「こっちに来ないで」
「近寄らないで!!」と両手で規制した。
このバカな和尚のせいで、結果は5日後に歴然と証明されたのであった。
-嗚呼-
-反省しても、遅いのだ-
トッホッホ💧💧💧
説明書を改めて読むと、陽性の場合は「かかりつけ医、もしくは県のコールセンターに連絡すること」とあった。
早速、受話器を取り連絡をし、昨日の東京出張からの経過と、抗原検査の結果を話した。
「では、PCR検査を発熱外来のある病院にて実施するように!!」と、要請を受けた。
八戸市内の受け入れ可能な病院を紹介するとのことで、3ヶ所の連絡先を教えてくれたのだった。
そこで、ある病院に連絡すると11時30分に可能とのこと。
指定された時間に着くと、外の駐車場で待機せよとの指示。
防護服を着用した男性職員が綿棒を持って近寄ってきた。
私から検体を取り出すと、夕方までに結果を知らせるので、それまで自宅待機にて、外出はしないように、との指示を受け、熱や咳の為にと処方薬を渡される。
-その日は-
檀家さんの御供養のおつとめもあったが、急遽、若和尚に全てを託し、自室に閉じ込もって、1時間毎(ごと)に熱を測る。
いずれも、37度強であった。咳は時折、出るが、息苦しくはない。
夕方の結果報告を待てども、やけに長い。
16時56分、電話が鳴った。脱兎の如く取ると、受話器の向こうから「陽性です……。」
「保健所から、今後のことについての指導助言があるので待つように!!」
「但し、本日は、もう17時を過ぎているので多分、明日になると思う」
私は、ガックリうなだれ、「やっぱり…」と、また朝と同じ言葉を口にしていた。
かすかな希望で「陰性でしたよ!!」を期待していたからだ。
大きな不安がコロナに侵された胸に渦巻く。
宣告されたはいいが、どうしたらいいのか?
咳が出る度に、肺の中でウイルスが増殖していくような恐怖におののく。
為(な)す術(すべ)がなく、ただ布団に入って眠るしかない。
悶々とした時間が、ゆっくりゆっくり。まるっきり進まない。
保健所からは、やっぱり連絡はなかった。
夜中に入り始めると熱が上昇し始めた。
38度を越し、39度を目指し、上昇してきた。発熱外来の検査後に渡された「もしもの時の為に…。」と渡された解熱剤を服用する。
午前3時、またもや汗だくとなり、シャワーを浴びて下着を取り替える。
何だかスッキリして再び体温を測ると、36.7度だ。
「おっ!!下がった!!」
喜んで、また布団に入り、少しは眠れる。
午前6時、起きて熱を測った。
37.9度だ。喜びは、束の間どころか、熱のアップダウンに翻弄される。
また、うなだれ、枕にため息を吐くだけだった。
午前10時30分、待っていた保健所から連絡があった。
いろいろと発熱時までの経過を聞かれる。
その為に、私は、東京出張時から、発熱し、その後の抗原検査からPCR検査までと、その後の1時間毎の発熱状況を克明に手書きしたA4版レポート用紙5枚程を、事前に保健所へFAXしていた。
(何しろ、こちとらは「さわやか説法」で書くことは鍛えられている。)
(まさか、こういう時に役立つとは?……。)
それでも、アレコレ聞かれ、今後の療養のことを聞かれる。
私は即座に「自宅療養でお願いします」と答えた。
この保健所のやり取りを奥様に話すと…。
奥様は、台所のテーブルをドンと叩くと、烈火の如く、いや猛火、紅蓮の炎、スパーク爆発の如くか、
「和尚!!この分からず屋のコロナ和尚!!」
「自宅療養したら、動線は私達と同じでしょ」
「お寺で働いている人もいれば、檀家さんも来るんだよ」
「シャワーは勝手に浴びるは!!動き回るは!!その後、誰が入るか、どう動くか考えてみよ!!」
-もう-
こちとらは、タジタジオドオドしながらも「いやぁー」と手を横に振ると、
「何がイヤーだ、イヤもアイヤもないの!!」
「すぐ保健所へ連絡して、隔離施設に行きなさい」と、電話器を指差した。
あまりの剣幕に恐れをなし、電話を掛けて、懇願した。すると保健所の方は快く対応してくれた。
「では2時30分キッカリに指定の隔離ホテルに入ってください」
「入所者が交錯しない為に必ず時間厳守ですよ!!」
時計を見ると、あと1時間しかない。
「確かに、自分が隔離されたほうが賢明だ」
「俺がいれば、お寺は閉鎖することになる……。」
それからが、テンヤワンヤで10日間の隔離入所への準備だ。
それに、お葬式の予定も入っており、代理の大導師の手配に、総代さん方への連絡やら、住職の長期間に渡るお寺不在、それもコロナによる不在だ。
まさに「不住職」なのだ。
もう、すっかり発熱していることを忘れ、バタバタ騒動支度で隔離ホテルへ向かった。
お寺を出発する時、私は「もしかしたら、帰れないかも……」
悲愴な気持ちで一言。
「さいなら~」と車の中から叫んだ。
外では、奥様も従業員も誰も見送ってはいなかった。
トッホッホッホ💧💧💧
合掌
※隔離ホテルの体験記は、来月号のパートⅡで語ります。