和尚さんのさわやか説法340
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」
 昨年から、マスコミには汚職事件、強盗事件そして殺人事件と、次から次へと凶悪、劣悪な事件が報じられている。
 世紀の大祭典!!世界の人々に夢と希望を与えるスポーツの祭典!!「東京オリンピック・パラリンピック」
 ところが、その東京五輪は、贈収賄の汚職、談合の場となっていた。
 あるいは、東京近郊から西日本各地での、一連の広域強盗事件に、狛江市の強盗殺人事件は、フィリピン収容所を拠点とした「ルフィ」なる首謀者が摘発され日本へに強制送還。
 また、その配下で実際に犯行に及んだ若者達も次々と逮捕されている。
 これらの事件は、SNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)の普及によりインターネット空間を利用してのことだ。

 まさに、現代における犯罪は、ケータイやスマホ、PC(パソコン)を通じての中で起きているといっても過言ではない。
 あのフィリピン収容所内で指令を出しての強盗事件は、現代犯罪の典型的は事例ではないか。
「SNSの『テレグラム』を利用してやっていれば誰にもわからないはずだ……」
「まさか、フィリピンからだとは、思うまい!」
「しかも、収容所からだ」
「絶対に、分かりっこない!!」
 きっと、そう思って次から次へと強盗指令を出し、犯行を繰り返していたのであろう。

 五輪汚職だって、そうなのだ。
 陰から指令を出し、実権を掌握して、「オリンピックの金」を、まんまと手に入れる。
―これだってー
「きっと、秘密裡に、知られることなく、やっているのだから」
「誰にも分からないだろう」の理論だ。

―ところが―
どっこい。天は見ているのだ。決して悪を見逃さない。
 それが、「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」だ。
 「天網」とは、天の神の網である。
 その網は、「恢恢(かいかい)」つまり、網の目は広く大きい。
 そして「疎(そ)にして」も、網の目は、まばらで粗(あら)いという意味だ。
―しかしながら―
「漏らさず」なのである。天の網の目をかいくぐることは断じて無いというのだ。
 つまり、悪は見逃さない。「悪事は必ず露見する」との格言であった。

 この出典は、中国の古典「老子」第73章中の成句である。
 そこには、こう説かれている。
 天之道。不争而善勝 
 不言而善応
 不招而自来。
 然面善謀
 天網恢恢 疎而不漏

漢文は難しい…。
 では、意訳してみよう。
 天の道は、争わなくても相手に勝ち、ものを言わなくても相手を感化してしまう。
 だから、招かなくても相手が自然に寄って来るものだ。
 そういうことだから、謀議して、悪事を謀ったとしても、天の網は広く大きくて粗いが、決して、その悪事は、漏らさないで掬(すく)ってしまう。との意味である。
 もっと分かりやすく解説するならば、
 この「天の道」とは、「天の道理」であり、天界においては、争わない、噓を言わない、だからお互いが仲良くなれる。
 それ故に、謀り事をしたならば、決して天は悪事を見逃さず、天罰を与える。ということなのだ。
 必ず、ばれる。
 必ず、あばく。
である。

―では、―
 今度は「地獄」の様子を「さわやか説法」しよう。
 地獄には閻魔大王がおられて、冥界の判司として、死者の生前の罪を裁くという。
 元来は、インドの古語「サンスクリット語」の『ヤマ』の音写で焰魔、琰魔とも表記される。
その「地獄の閻魔大王」の法廷には、「浄玻璃(じょうはり)(くもりのない水晶やガラス)の鏡(かがみ)」があり、その鏡には、地獄に送られてきた死者の生前の行いが映し出されるというのだ。
 まさに現代にあっては、防犯カメラの録画の映像だ。
 どんなに隠しても、絶対にばれないと思っても、密室であろうが、暗闇であろうが、カメラがあろうが無かろうが、天界から全てが録画されているのだ。
 死者たる悪人は、どんなに「私は やってません」
「知りません」
「記憶にございません」と言っても、
 閻魔大王が、手元のスイッチを押すと、たちどころに全ての悪事が鏡に一挙放映されるのである。
 そして、閻魔帳には自動的にインプットされ活字化されるという。
「すごい!!」
「地獄は、昔からハイテクだったんだなぁ~」
 私はたまげてしまった。
「天の網は、決して漏らさず」だ。
「地獄の鏡」は、必ず写し出すのだ。

―更に―
 私は、またまた『法句経』を取り出し、お釈迦様は、私達にどう説かれているか、尋ねてみたくなった。
 すると、こう説かれていた。

 不実(いつわり)をかたりて
 悪処(あしき)に入(い)り
 自(みずか)ら作(な)して
 「われは作(な)さず」
 という
 これら両者(ふたり)の
 賤(いや)しき業(なりわい)のもの
 のちにひとしく
 悪処(あしき)に入らん
 (306)

―もう―
私が解説しなくても、皆さんには、スバっとお釈迦様のお言葉が、理解できるであろう。
 今、現代社会において、いろいろな事件を起した当事者達が、
「不実」を語り、悪処に入りて 自らが悪事を作したとしても 平然と「私はやってません」と言っていることを……。
―しかし―
「悪事は必ず露見する」ということであり、のちに、ひとしく悪処に入るというのだ。
 この悪処とは、牢獄なのか?地獄のことだろうか?

 私は、小さい幼児時代、子ども時代には、親に、あるいは先生方に、「お天道様が、見ているぞぉー」
 父親和尚からは、
「み仏様は、天から見ているぞぉー」
「悪いことはするなよぉー」と
いつも言われていた。
 それでも、私は、隠れては、悪さをはたらいていた。
 今は、奥様に隠れて悪さをしている。
 でも、それを奥様は知っていて、知らないふりをしている。
 奥様の「心の網」は広くて大きく、わざと漏らしているのだ。
 たぶん奥様は「天の心」の持主なのであろう。
 きっと、私は「地獄」に行くことは確かなようだ。
 トッホッホッホ💧💧💧

合掌

参照『法句経』友松圓諦訳 講談社学術文庫