和尚さんのさわやか説法342
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 先月号の「さわやか説法」において、私は長野市篠ノ井の円福寺ご住職、今は亡き「藤本幸邦」老師が提唱された『はきものを そろえる』の詩を、皆さんに紹介して、奥様との「胡瓜もみ」事件の顚末を語ってみた。

-そこで-
 今月号においては、この詩が生まれた背景、そして、老師は、どのような「思い」で私達に、この詩を伝えようとしたのか。
 更には、私自身のある温泉での「大浴場スリッパ事件」体験談を語ってみたい。

 さて、藤本老師とはどんな方なのであろうか。
 お生まれは、明治43年であり、昭和10年に駒澤大学仏教学科を卒業、17年に曹洞宗大本山総持寺の門を叩いたという。
 昭和20年、その修行中に応召され、21年、北支より無事帰国し復員された。
 その時、目の当たりにしたのは、焦土と化した東京であり、上野駅には住む家もなく、ましてや両親や身寄りを失い、何もかも喪失した孤児達で溢れていた現実だった。

 その姿に老師は心を痛め、見て見ぬ振りは出来ない「この子ども達を救って上げたい」との大慈悲心を発露されたのである。
 昭和22年、3人の戦災孤児を自分の寺、円福寺に引き取り育て始めた。
 これが「児童養護施設 円福寺愛育園」の端緒であった。
 老師の孤児に対する「思い」は、まさに「愛育の心」であり、それが「仏育の心」ともなり、「慈育の心」の実践であったのだ。
 長野県での和尚さんを「おっしゃん」と呼称することから、自らを、子ども達の父として、「おっしゃん」となり、奥様は「おかあさん」となって育てるのであった。
 その当時のことを、円福寺愛育園のHPを拝見すると、「円福寺愛育園 創立30年誌『愛の花園』」に御本人の述懐が語られている。
 「今も私は、あの敗戦の悲しみを忘れることはできません。
 しかも、あの上野の駅に群れていた、いたいたしい戦災孤児の姿は悲しく、戦後の世相は、賽の河原よりも冷たかったのであります。
 今こそ仏者が立つべきであると……」
 「檀家30戸余りの円福寺には何の収入もなかったのですが、私のやむにやまれない思いがありました。」
 一体?老師のこの「やむにやまれない思い」とは何なのであろうか?

 「家内も『お嫁に来る前は、こんな仕事をするお話はありませんでした』と申しましたが、『お経を読んでいるばかりが和尚ではない、み仏の大慈悲心は、人みな吾が子であるという大きな愛である。この子ども達を吾が子として救い育てるのだ』と言い聞かせて励ましました。……」
 まさに、お釈迦様が『法華経・譬喩品(ひゆぽん)』で説示される「一切衆生皆是吾子」の教えが老師の「やむにやまれない心」という「大慈悲心」であり、「仏者」としての「大きな愛」だったのだ。

-故に-
 愛育園は、孤児の子ども達を「おっしゃん」が次々と連れてくることもあり、2、30人と増えていくことになる。
 すると、当然の如く玄関やトイレの履物がごった返しになったという。
 その時、老師は、子ども達に
「はきものを、ほっぱらかしにしておくと、また戦争になってしまうぞ!!」
「揃えておくと、平和になるぞ!!」と、思わず口を突いて出たとのことであった。
 このことが契機となり、作り上げたのが『はきものをそろえる』という詩なのである。
-つまり-
 この『はきものをそろえる』という「老師の詩」は、そのような戦災孤児の子ども達との「家族愛」が背景にあり、かつまた、老師自身の戦争体験からの強い「非戦」の願いや、自らの「一切衆生皆吾子」なるお釈迦様の「大慈悲心」の思いが込められているのではないか。

 はきものをそろえると 心もそろう
 心がそろうと はきものもそろう
 ぬぐときに そろえておくと
 はくときに 心がみだれない
 だれかが みだしておいたら
 だまって そろえておいてあげよう
 そうすればきっと
 世界中の人の心も そろうでしょう

 この詩は、多く人々の心に響き瞬く間に、全国の寺院に布教伝播した。そして今、令和の現代にも風化することなく語り継がれている。

 私が30才代の若き時代、こんなことがあった。
 場所は、秋田県の有名温泉地「湯瀬」でのことだ。東北各県より曹洞宗の若輩僧侶から御高齢の老師の方までが一同に参集しての会合が開催された時だった。
 その当時は、団体客団体バス全盛時代だ。会議が終われば温泉に入り、一汗かいたところで浴衣姿での大宴会となって親睦を深めるのが通例であった。
-その宴会の-
始まる前の大浴場でのことである。
 上がり場には、スリッパが入り乱れ散乱していた。
 私はそれを避け奥の方に自分のスリッパだけをきちんと脱いで、その乱雑化したスリッパを踏みつけて脱衣所に向かった。

-その時だった-
 ある老僧がその「風呂のれん」をくぐると、突然、前かがみとなって、その散乱したスリッパを1足ずつ丁寧に揃えて並べ始めたのだ。
 2、30足はあったろうか?
 私の目に、その老僧の姿が飛び込んできた。
 しかし、私は、もう浴衣を脱いでいたこともあり、為す術もなく、ただその姿を凝視しながらも傍観しているだけだった。
 老僧は、揃え終ると何事もなかったように平然として浴場内の湯煙の中に消えた。
 大浴場の浴槽に入ると、はるか向こうに、あの老僧が目をつむって静かに浸っているではないか。
 私は、「申し訳ありません」と、近寄って言うにも言えず、浴槽の中で両手を合わせ、心の中で「すみません」と呟いただけだった。
 その瞬間、やけに、汗が流れ出た。

「誰かが乱しておいたら、黙って揃えておいてあげよう」
 このことが出来なかった自分が、あの時、あの場所に居たのだ。
 老僧は、平然と、それを実践していた。
 もう、修行力が丸っきり異なる。それを痛切に教えられた事件だった。

 藤本幸邦老師も、湯瀬温泉でのあの老僧もまさしく修行に培われた「大慈悲心」の人であり、黙って他の人の為に、乱れたものを揃えて上げれる「大仏道心」の人なのだ。
 きっと世の中の人の心をそろえて上げれる人であり、「大力量底」の和尚さんであることは間違いない。

合掌

参考引用
※「はきものをそろえる」 円福寺出版部
※児童養護施設 円福寺愛育園HP 理事長「ごあいさつ」