和尚さんのさわやか説法343
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号もまた「はきものをそろえる」をテーマにして語ってみたい。
 連続3回目となる。
 このテーマで説法し始めたきっかけは、「胡瓜もみ事件」だった。
-あの時-
 私は、自分で食べたくなった胡瓜もみを作った後、台所のマナ板や包丁を放ったらかしたことを、奥様から叱責されたのが発端だった。
 私は、しぶしぶ片付けながらの切り返しの一発!!
「誰かが 乱しておいたら 黙って そろえてあげよう」
 この「はきものをそろえる」の一番、肝要なのがここの箇所なんだと力説した。
「誰かがマナ板を放ったらかしにしておいたら 黙って片付けてあげよう」
 自分が片付けもしないくせに藤本幸邦老師という大和尚様の作られた詩を身勝手に、悪用したのだ。
-しかし-
 さすがに奥様である。
 私の魂胆なんぞ、鼻っからお見通しだ。
「何、言ってんの!!」
「人に言われる前に、黙って自分でやれ!!」
「私のせいにするんじゃない!!」と一喝を喰らった。
「ハッハァー!!」
 私は、それこそ押し黙って、そろえ片付けるしかなかった。

 そして6月号は「大浴場スリッパ事件」の物語だった。
-あの30才代の時-
 温泉大浴場で、御高齢の老僧が、上がり場に散乱していたお客さんのスリッパを、揃え並べ始めた時だ。
 私は、その老僧の姿を脱衣所で、ただ見ているだけだった。
「私も片付けます・・・」
「手伝います・・・」
 いや、それよりも、
「老僧、私がやりますので、老僧はお風呂にお入りください」と、何故、言えなかったのだろうか?
 人が乱したのなら、「黙って そろえて上げよう」との心が起きなかったのか?
 どうして、行動に移せなかったのか?
 きっと、あの時の私は、傍観的な心しかなかった未熟な若年和尚であり、自己中心的にしか物事を捉えていなかったからだ。
 人の乱しておいたスリッパのことなんか、何にも気にならないし人の履いたスリッパなんて、触りたくもなかった。
 それに、大浴場の散乱するスリッパを揃えようとする「みっともない」と思う心があったことは確かだ。
「格好が悪い」とか、「体裁が悪い」とかの自分のプライドを守ろうとする「自我」の心があったのだ。(※プライドなんて元よりないのに!!)
-しかし-
 あの老僧は平然として、辺りを気にすることもなく黙々と揃えていた。

 この6月号の「さわやか説法」を長野市は円福寺愛育園の現理事長であり、御子息でもある「藤本光世」老師にFAXすると、御丁寧な御返信を頂戴した。
-そこには-
「昔、父もこのような経験をして、それを見たお客さんから『番頭さん ご苦労様』と言われてしまったと、笑いながら話してくれました」と、書かれてあった。

 このお2人の御老師様の行いは、まさに「仏行」なのである。
 仏様が、仏の行いをしていることなのだ。
 「自我」という心を放捨しての人の為に、人様に奉仕する。
 乱れていたなら、揃(そろ)え、調(ととの)え、正して上げたいという「利他心(りたしん)」であり、「利他行(りたぎょう)」であった。

-つまり-
 藤本幸邦老師の「はきものをそろえる」は、
 この「自利・利他」の仏心、仏行を教えているのではないか。

はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときに そろえておくと
はくときに 心がみだれない
だれかが みだしておいたら
だまって そろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう

 私は、この詩は「起承転結」で構成され、更には、「自利」と「利他」の仏行が前段と後段とで説かれていると思った。
-即ち-
 前段の4行目までが「起」であり、「承」は「ぬぐときに」から、また4行後の「心がみだれない」までだ。
 そして「だれかが」から「だまって そろえてあげよう」までが「転」であり、「結」は、「そうすればきっと世界中の 人の心もそろうでしょう」なのだ。

 この「起承」の前段が、自己の修行としての「自利」であり、自分で修行の功徳を積むことである。
 そして「転結」は、その自利の心を廻らしもって他の人を救い、心を救う「利他」の仏行ではないか。

 そのような私の思いに対して、原作者の藤本幸邦老師は、御自身の「法話」の中で、こう説示されていた。
「仏教徒が守らねばならぬ『三聚浄戒(さんじゅじょうかい)』という3つのお誓いがあります。」
「その第1は『摂律儀戒(しょうりつぎかい)』であって、他人に注意されなくても、自分で自分を自律して、悪いことをやらないとう誓いです」
「自分のはきものは、自分できちんと揃えて他に迷惑をかけないお誓いの実行です」
 まさに「胡瓜もみ事件」での奥様の一喝なのだ。
「その第2は「摂善法戒(しょうぜんぽうかい)』であって、自分のはきものを揃えるだけではなく、人のはきものを揃えてあげる善い行いをする誓いであります」
 まさに、「大浴場スリッパ事件」で登場した老僧の行動だ。
「その第3は『摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)』で、いつでも便所のスリッパを向うむきに揃えて出て来る。世のため人のために、そして世界平和のためにつくすお誓いであります」と、語られている。
 まさに、藤本幸邦老師の「非戦」の願いと誓いであり、子ども達はもとより世界の人々への「平和愛育の心」なのだ。

 私は、この法話を拝読した時、脳裡に今は亡き八戸市は「イレブンやち電器」の社長、「谷地秀寿」氏の口癖でもあった言葉が鮮烈に甦ってきた。
-それは-
「わも良ぐ うがも良ぐ 皆なも良ぐ」であった。
 この「わ」とは八戸地方の方言で「我」「自分」のことであり、「うが」は「貴方(あなた)」のこと相手のことをいう。
 そして、皆なも良く。
「この、わも うがも 皆なも良ぐが商売のコツなんだ」と笑って、話してくれたことがあった。

-まさに-
 藤本老師が説示されている「3つのお誓い」そのものではないか。
「はきものをそろえる」の肝要を、しっかりと捉えている言葉であると私は学ばさせられた。

 あえて、極論するならば、商売のコツ、仏道のコツは「自分も他の人も そして皆なも良ぐ」することなのだと・・・・・・。 

合掌

※参照出典
 「はきものをそろえる」原詩
 「はきものをそろえる」法話 藤本幸邦老師作

※6月号の「さわやか説法」において、「はきものをそろえる」誕生の契機の箇所について参照出典を記載しておりませんでした。
「ウジタオートサロン」HPより
ゲスト/藤本幸邦老師・ホスト/氏田耕吉氏との対談録を参照しました。
 ここに追加し、お詫び申し上げます。 合掌