和尚さんのさわやか説法344
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
〽南部の昔っこ!!
八戸童話会の皆さんが、長者山は「おとぎの桜」の下で、八戸地方の方言「南部弁」でそれを語り継いできた。
♬「朝日が きらきらのぼるころ お伽の森の子どもらは・・・・・・」
これは「森のお伽会の歌」の冒頭の一節だ。
♬「お伽の森の木の下に みんな仲良く集まって・・・・・・」(2番歌詞)
語りべの皆さんの「お話」を、朝日と同じく「目をキラキラ」と輝かせて聞き入る。
「森のおとぎ会」が初めて開催されたのは大正13年(1924)とのこと。今年は100年の節目の年だ。
-そこで-
私も、語りべの1人として、ましてや南部の和尚でもあるからにして、この100回目をお祝いして・・・・・・。
南部弁バージョン「お盆の由来」昔っこを創作実演してみよう。
=それでは=
=始まり~始まり~=
「でも、始まる前に、お断り!!」
「文字による方言の丸出しで語りますので、通訳を( )で付けます」
-次に-
「お断りの2」、古代インド お釈迦様の時代は南部弁ではありませんが、昔話としてナマリ丸出しで語ります」
〽「むが~す、むがす。まっと むがすのごどであんす」
(昔、昔 もっと昔のことです)
「今がら 2000と500年前のごどであんす」
「こりゃ。たまげだほどの大昔だじゃ~」
(今から2500年前のことです。驚くほどの大昔です。)
=いやぁー 方言通訳も大変です~。=
「おしゃが様というおがだがいだじもなすー」
(お釈迦様というお方がおられた)
「おしゃが様には、じゅうにんのできだ弟子がいだじもな・・・」
「そのじゅうにんの弟子の中でも、じんづう、でぇいぢど言われた方がいだったじ」
(お釈迦様には10人の秀れたお弟子方がおられたそうな)
(その10人の方の中でも神通第1と称せられる方がおられた)
「そのひとの名前っこだば、もぐれんそんじゃと、しゃべってな」
「あだりほどり、どごでも、何でも 見どおせるちからっこば持っていだじ」
「したすけ、神通第1と呼ばれだんだど」
(その方のお名前は、目蓮尊者といい)
(あらゆる世界、全てを見通せる力を持っておられた)
(だから 神通第1と呼ばれていたという)
「ある日のごどだ」
「もぐれん尊者だば、死んだあっぱのごど思い出すて、どごサいるべ?どへって じぶんの神通力で見だじ」
(ある日のことです)
(目蓮尊者は 亡くなったお母さんのことを思い出され、どこに居られるのかと呟かれ、自分の神通力で見てみた。)
「まんず、ごくらぐば見だじ。したんども、どごどう見でもそごさば、いながっだずもなす」
「せば、もすかすたら、じごぐサいるべが?ど、そごバ見だじもぇ」
(先に 極楽を見たが、どこを見てもそこには居なかった)
(それならば、もしかして、地獄に居るのではないかと、そこを見た)
「したっきゃ!!居だのえ!!あのあっぱだば地獄サ堕ぢでいだったじもぇ!!」
「しがも、がぎどうサいでもがいでいだったじ」
(そうしたら、なんと居るではないか!!あのお母さんが地獄に堕ちていたのだ)
(しかも、餓鬼道に居り 悶え苦しんでいるのだ)
「その姿だば、かおがらくびたは やせぼそり、へながだば、くぐまっでるのさ」
「もぐれん尊者だば、その姿っこよ見で」
「じゃいや~い!!ワのあっぱ、見でられねって、まんまよ、かせべゃどしてお椀サまんま盛っで」
「かぁー。けぇ!!」
「ほら、おあがりあんせ!!って、神通力ば使っで、あっぱの前さ出しだじもぇー」
(その姿たるや、顔から首は、やせ細り、背中は曲がっているのだ)
(目蓮尊者は、その姿を見るや)
(声を上げ、私のお母さんの今の姿なんぞ見てはいられない。御飯を食べさせようと お椀に御飯を盛ったのだった)
(さぁ!!お食べ下さい。お召し上がり下さいと、神通力を使って、母親の前に出したのだった)
「あっぱだば、喜んだのなんのっして、くうべゃどしだら・・・・・・」
「そのまんまだば、火吹いだもぇ!!」
「あっぱだば なんもかれねのす」
(お母さんは喜び、食べようとすると・・・)
(その御飯は火を吹くのであった)
(お母さんは、どうしても食べれないのである)
「もぐれん尊者だば、まなぐよまっかにして、わめいで、ほんずなしになっだずもなし」
(目蓮尊者は 目を真っ赤にして泣き叫び、正気を失ってしまうほどだった)
「ほんだ!!これだば、お釈迦様サすけでもらうごどにすべ!!」
「もぐれん尊者だば、やいのやいのどぷっぱへだもぇ」
(そうだ!!これならばお釈迦様から助けてもらおう)
(目蓮尊者は一生懸命走った)
「したっきゃ。お釈迦様アー、こうへったっじもぇ」
「うがのあっぱだば」
=いやぁー。お釈迦様が南部弁を言われるはずもなく・・・・・・。こんなふうには絶対言いませんが、物語の展開上、お許し下さいませ。=
トッホッホッホ💧💧💧
(そうしたら、お釈迦様は、このように申された)
(おなたの母は・・・・・・)
「うがば、めごがっでめごがっで、あだりほどりに のっこど、ちゃっこい罪ば、作っさだのよ」
「うがが なんぼごんぼほっても、なんぼぬさばっても、めごいめごいってな」
「わらしっこ おがすに なんぼへっちょはいだんだが」
=またまたお釈迦様のお言葉を通訳します=
(目蓮!!母は貴方が可愛い可愛いと、いろいろな小さな罪を犯したのじゃ)
(あなたが駄々をこねても、甘え、悪さをしても、可愛い可愛いと申してな)
(お前という子供を育てるに どれほどの苦労をしたのか)
「それを聞ぐや、もぐれん尊者だば、お釈迦様にすがったもぇ」
「どんかどんか あっぱよ すぐっでけさい!!」
「どんぞ、よろしぐお願い申し上げあんす」
(それを聞いた瞬間、目蓮尊者はお釈迦様に助けを求めた)
(どうか、母を救って下さいませ)
(どうぞ よろしくお願い申し上げます)
「お釈迦様は、静がっこにへったずもぇ」
「今日だば 僧自恣(そうじし)の日の8月15日だ」
「この日、大勢の安居修行僧だぢが、こごサ集まる」
「しだば、棚っこ作っでずっぱり山海の御馳走ば供えで、その衆僧の御経の功徳ば、もらっで供養するのぇ」
「へば、きっとあっぱだば救われるごった」
(お釈迦様は静かに申された。今日は僧の懺悔の日の8月15日である)
(この日は多くの修行僧らが、ここに集まってくるので、祭壇を設け、沢山の御馳走をお供えし、読経の功徳を頂戴して供養するのです)
(そうすれば、きっと貴方の母は、地獄の餓鬼道から救われることであろう)
「もぐれん尊者だば、ほがの衆僧だぢサ、すけでけろ。すけでけろ。と頼んで供養しだじ」
「したっきゃ。あのあっぱも、ほがの亡者さんだぢも、みんな一緒に救われだじもぇ」
「もぐれん尊者だば、手っこよ合わせで、喜んだずもなす」
「めでだし、めでだし」
「これで どっとはらい」
最後は、通訳なしです。
どうでしたか?
南部弁バージョンの「お盆の由来」物語は?
お盆は「孝行供養」の仏行(ぶつぎょう)なのです。
皆さん。今年のお盆は暑いけど、良きお盆をお迎え下さいませ。
合掌
※たぶん古今、前代未聞のお盆説法でしょう。謹んでお許し下さいませ。 大合掌
※方言指導/八戸童話会会長 柾谷伸夫氏