和尚さんのさわやか説法203
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 西有穆山様こと、金英和尚が江戸に上り、仏教の研鑽修行の為、駒込は吉祥寺旃檀林(きちじょうじせんだんりん)に身を投じたのは、天保12年(1841)年21才の時であった。
—そして—
 更なる勉学の為、漢学者・菊池竹庵のもとを訪ねたのは、その翌年の夏であった。
 真夏であるにもかかわらず、一張羅の綿入れの着物を身にまといフーフーと汗をかきながら漢籍を読もうとしている目の前の金英和尚を見ていると、何かしら微笑ましくも、ゾクッとするような鋭さを感じる竹庵であった。「こいつは、どのような和尚になるか楽しみじゃわい」
「今は原石のままじゃが、将来、どんな光を放つのであろうか?」
 団扇をバタバタとさせながら竹庵は、そう思った。
「先生!!漢学とは、面白いものでありますな」
「そうか!!おもしろいか!!」
「はい。古典や祖録を読んでますと、古えの方々の考え方や生き方、そして不変の教えというものを学ぶことができます」
「そうかそうか。しっかりと読みこなさなければならないぞ」
「漢学とは、ただ読むということではなく、先人の教えや思想を学ぶことによって、自己に体現させることなのじゃ」
「特に漢籍の仏典は、お釈迦様の教えや、それを受けついでこられた祖師方の説かれてきた真実の教えである」
「それを学ぶということは、自らの仏(ほとけ)の道(みち)『仏道(ぶつどう)』を学ぶことに他ならない」
「単に古典に親しむということではないのだぞ」
「はい!!しっかりと読み、学んでまいりたいと存じます」
 金英和尚の並々ならぬ勉学の決意と、その実力は日に日に力を増し、師匠の竹庵も舌を巻くほどであった。

「竹庵先生は、いらっしゃいますかぁー。ごめんくださいー。」
「庭先から、ちょっくら、ごめんなすって」
「先生!!せんせーい!!雁金屋(かりがねや)かい。どうしたんだい。」
「へェー。ちょっと昌平校まで来たもんですから、先生の御尊顔を拝しに参りあしたぁ」
「そうかい。そりゃ嬉しいなぁ」
「今ね。こいつと学問の真最中だ!!」
「もう少しで終るからちょっと待ってくんな」
「へい。どうも!!勉強中にお邪魔しちゃってすみませんね」
「それで、こちらはお弟子さんで?」
「まぁ、弟子っていえば、弟子かなぁー」
「おい!!金英さんよ!!こちらは雁金屋という本屋のご主人だ。」
 夢中で漢籍を読んでいた金英和尚は、師匠の呼ぶ声で思わず顔を上げて、その庭先の人物を見た。
—その途端—
「あれまぁー。ご主人でねェーすがぁー」
南部なまりで叫んだ。
 呼ばれたほうも呼ばれたで
「あれまぁー。金英さんじゃねェかい」
「漢学を勉強しているって言ってたけど、竹庵先生のところで学んでいたんだぁ」
「はい。こちらで学ばさせていただいておりますー。」
「何だい何だい。お前さん達!!知り合いなのかい?」
「へェー。知り合いっていうもんじゃねェーですよ。先生!!」
「いつだっけか、言ったでしょっ」
「毎日毎日。本を立ち読みに来てる若い小僧さんがいるって」
「それも片っ端からだよ」
「そうだな!!お前さん憤慨してたよな」
「立ち読み、ただ読み、あげくにいつまでも帰らねェーとな」
「そいつが、この金英なのかい」
「へェー。そうなんです!!」
「ワッハッハ!!そうかい。この金英がね」
「天下の本屋!!雁金屋も、こいつには参ってしまったか」
「へェー。参りました。(笑) あんまり熱心なもんで、立ちっぱなしもなんだろうと思い、番頭の座る場所に、どうだい?って言ったら、その日から番頭が立ちっぱなしでさ」
「番頭は、えらいとばっちりで、こぼすことこぼすこと」
「ワッハッハ、そりゃおもしれェー」
「どうも、すみません。御迷惑をお掛けして」
「いってことよ!!私しゃあね。アンタの勉強熱心さに惚れてしまったのよ」
「そんでね。先生!!番頭が座る場所が無いもんだから、じゃぁ学校の寮に持って帰って読んでもいいよって言ったらさ」
「まぁー。読むこと読むこと。」
「それでもねェ!!きちっと手垢がつかないように、きれいに読んで返してくれるから、私しゃ、たまげたね」
「この学生さんは、たいしたもんだよ」
「ワッハッハ。金英さんよ。お前さん!!天下の雁金屋を負かしただけでなく、唸(うな)らせてしまったのかい。」
「すごいね。俺も、たまげたよ。ワッハッハ」
 竹庵先生も雁金屋の主人も手を叩いて笑い転げてしまった。
 当の金英和尚は「どうもどうも。すみません」と頭をかくばかりであった。
 この穆山こと金英和尚の基礎学力は、旃檀林での修行、雁金屋での本の読破、そして竹庵先生の漢学によって培われていった。
—しかし—
 笑い転げていた竹庵先生は、キッとした眼で金英和尚に向き直ると、こう言った。
「金英さんよ。お前さんは面白いねェー。」
「よく勉強するし、よく修行もする。それでいて、そのことを微塵にも人に感じさせることもなく、皆なに愛される」
「その屈託のない明るさ、底抜けの天真爛漫さといい、機知即妙なるところは、御師匠様の影響ばかりではないね」
「その透き通った眼(まなこ)の深さ、あるいは、アンタは気づいてないかも知れないが胆力の重さはちょっとやそっとじゃ身につかないんだ」
「きっと、金英さん!!アンタは『地獄』を見てきたね」
 その言葉に、側にいた雁金屋も、当の本人の金英和尚もビックリしてそろって声を上げた。
「 じ・ご・くぅー。 」
「先生!!じごくって、あの地獄のことですかい?」
 雁金屋の主人は縁側に、はいつくばるようにして竹庵先生に聞いた。

 さぁー。この続きは、来月号で!!穆山禅師の芝居版創作物語第二幕「花のお江戸は えーどえーど」パートⅢです。

合掌