凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅨ 第9図「返本還源(へんぽんかんげん)」 千利休の「茶の湯とは…」

和尚さんのさわやか説法327 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  もう師走、12月である。  なのに、まだ『十牛図』を愚考愚説し続けている。  それは、本年令和3年は「丑年」でもあり、正月号から毎月「十牛図」を取り上げてきた。 -てなこと


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅧ 第8図「人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう)」=若き日の大島代議士の青空心(あおぞらしん)=

和尚さんのさわやか説法326 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  今月号も、またまた『十牛図』であり、今回は第8図「人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう)」である。 「人も牛も 共に忘れる」と読む。  先月号の第7図は、「忘牛存人(ぼうぎゅうそんに


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅦ  第7図「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」=ギターは弾かなきゃ音は出ない=

和尚さんのさわやか説法325 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  今月号の「さわやか説法」も、またまた『十牛図』であり、第7図「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」である。  牛を忘れて「ただ人だけが存(い)る」と読む。  牛を尋ね、探し求め


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅥ 第6図「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」

和尚さんのさわやか説法324 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  今月号も、またまた『十牛図』であり、今回は第6図「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」である。  第5図は、捕まえた牛を飼いならし、牛と牧童が一緒になって歩む姿だった。  第6図は、


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅤ 第5図「牧牛」愚説
=御影堂の若き女性=

和尚さんのさわやか説法323 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  今月の「さわやか説法」は、またまた『十牛図』であり、今回は第5図「牧牛」である。  毎号で語ってきた『十牛図』における「牛」とは、「自己本来の心」を例えている。  この牛を


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅣ 第4図「得牛」愚説

和尚さんのさわやか説法322 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  今月号の「さわやか説法」は、「十牛図」の第4図「得牛」である。  今までの第1図の「尋牛」は、自己本来の心を牛に例えて、探し尋ね、第2図の「見跡」は、その牛の足跡を見つける


凡愚和尚の「十牛図」愚考愚説パートⅢ 第3図「見牛」愚説

和尚さんのさわやか説法321 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延  先月号の「さわやか説法」で、私は青森刑務所での刑期を満了し、社会へ旅立つ受刑者に対して、私からの更生への「贈る言葉」である「努力すれば 必ず 成長する」の背景を説法してみた