和尚さんのさわやか説法217 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 そろそろ、芝居版「ぼくざん物語」もエピローグであります。 金英和尚こと万吉(後の西有穆山)は、母から厳しい鉄槌を受け素直に自己の初心に立ち返ることができた。 万吉は知っ
和尚さんのさわやか説法217 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 そろそろ、芝居版「ぼくざん物語」もエピローグであります。 金英和尚こと万吉(後の西有穆山)は、母から厳しい鉄槌を受け素直に自己の初心に立ち返ることができた。 万吉は知っ
和尚さんのさわやか説法216 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 母は我が子を救う為には、自分は「地獄」に墮してまでもと思うのだろう!! 八戸の偉人、近代の名僧と称讃される西有穆山禅師を「穆山」たらしめたのは、この「母の心」「なをの心」
和尚さんのさわやか説法215 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 新年 明けまして おめでとうございます。 皆様にとりまして この寅年が よき年であり福寿無量なる年であることを祈念しております。 お正月早々、「お屠蘇」を飲み過ぎ、「大虎
和尚さんのさわやか説法214 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 本年は皆様、ご周知の通り、八戸湊村出身の「西有穆山禅師没後百年」の年であり、その遺徳を顕彰し、記念事業が開催されてきている。 穆山禅師の御命日は12月4日であり、この時
和尚さんのさわやか説法213 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 「父、死す!!」 嘉永二年(1849)金英和尚こと万吉、29才の時であった。万吉が故郷湊村から江戸へ向かったのが天保十年(1839)19オの時であり、駒込は吉祥寺旃檀林にて
和尚さんのさわやか説法212 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 江戸時代は牛込にある鳳林寺にありて、金英和尚は、何か胸騒ぎを覚えていた。 耳の奥というか、胸の芯に、母の悲痛な叫び声が響くのである。 「万吉やぁー。」 「万吉ー。」と自
和尚さんのさわやか説法211 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 暑いお盆である。例え冷夏であったとしても、「お盆」は、やっぱり暑くて熱いのである。私は何かこの期間は、日本人の心にある亡き人を想い、御先祖を偲ぶ「魂のエネルギー」というもの
和尚さんのさわやか説法210 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 縁とは不思議なものである。出合うべくして出合うのか。起こるべくして起きるのか。 只今「さわやか説法」では、「創作ぼくざん物語」を連載し、3月号からは、江戸は牛込にある「鳳
和尚さんのさわやか説法209 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 穆山様こと、金英和尚は、若干23才で、花のお江戸は牛込にある瑞祥山鳳林寺第15代の住職となり、27才にて晋山式の盛儀を迎えた。 この晋山式を迎えるにあたり、金英和尚は鳳林
和尚さんのさわやか説法208 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 穆山様こと金英和尚は、牛込は瑞祥山鳳林寺の山門に向かい、先導する檀家さん方が朗々と歌い上げる 『木遣(きや)り』の祝い歌の中、ゆっくりと歩んでいた。 沿道では、地域の皆な