和尚さんのさわやか説法207 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 「かぁー。いい天気だなぁー。」 「こりゃぁー。久しぶりの日本晴れだな!!」 時は弘化4年(1847)、場所(ところ)は、花のお江戸は牛込(うしごめ)界隈(現東京新宿区内)で
和尚さんのさわやか説法207 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 「かぁー。いい天気だなぁー。」 「こりゃぁー。久しぶりの日本晴れだな!!」 時は弘化4年(1847)、場所(ところ)は、花のお江戸は牛込(うしごめ)界隈(現東京新宿区内)で
和尚さんのさわやか説法206 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 さてさて今月号もまた「さわやか説法」は「創作ぼくざん物語」の続きであります。 漢学者、菊地竹庵先生は穆山(ぼくざん)こと幼名万吉。そして今は金英と呼ばれる和尚の顔を、まじ
和尚さんのさわやか説法205 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 新年明けましておめでとうございます。 皆様にとりまして、この丑年が「もうもう最高の年」であることを祈念しております。「ウッシッシ」と喜び、笑い声が出てくるような年であれば
和尚さんのさわやか説法204 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 漢学の師・菊地竹庵は、こう言い切った。 「金英さん!!アンタは『地獄』を見てきたね」 その言葉を聞いた時、西有穆山こと金英和尚は、自分の幼少の頃のある光景が突如として思い
和尚さんのさわやか説法203 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 西有穆山様こと、金英和尚が江戸に上り、仏教の研鑽修行の為、駒込は吉祥寺旃檀林(きちじょうじせんだんりん)に身を投じたのは、天保12年(1841)年21才の時であった。 —そ
和尚さんのさわやか説法202 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 「へェーへぇっくしょん!!」 万吉は思わず、大きなくしゃみをした。 「誰か俺の噂してるんだべが」 万吉は南部なまりでそのくしゃみのあまりの大きさの故に驚いて、心の中でつぶや
和尚さんのさわやか説法201 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 お盆である。読者の皆さんは、それぞれに菩提寺に、あるいはお墓にと、お盆の御馳走やお花を持って、お参りなさるでしょう。 お墓では迎火を焚き、本堂ではお線香を上げる。 もう
和尚さんのさわやか説法200 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 今月号で「さわやか説法」は、200号となる。 思い返すに、第1号は平成元年の9月であり、第100号は平成9年の12月であった。 よくもまぁ、この20年間書き続けてきたも
和尚さんのさわやか説法199 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 皆さんは、郷土の偉人、明治期日本の名僧と称される八戸湊町出身の「西有穆山(にしありぼくざん)」という和尚様を御存知であろうか? 知る人ぞ知る!!知らない人は、まるっきり知
和尚さんのさわやか説法198 曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 ♪ 広瀬川 流れる岸辺 思い出はかえらず 早瀬 おどる光に ゆれていた君のひとみ 季節(とき)はめぐり また夏が来て あの日と同じ 流れの岸 瀬音ゆかし